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【アロマテラピーの歴史 -香りの文化- 】


 “ 香り ”
それは古代から人々にとって、とても身近なものでした。
香りの文化は、人の文明の始まりと共に始まった、といっても良いでしょう。
人は火を扱うようになってから、ある種の植物の葉や小枝、また樹脂などを、
燃やしたり蒸すことで、よい香りが発生する事を発見しました。

この心地よい香りはまず、神様への捧げものとして、宗教儀式に使われました。
“薫香”は現在でも伝統的な宗教儀式には、欠かせませんね。
そして香りは様々な人々、色々な場所、大切な場面で用いられるようになるのです。

それではそういった植物、ハーブの利用からアロマテラピーにいたるまで、
ここではそれ以前、古代における植物と人々とにまつわるお話をを紹介しましょう。

(各エッセンシャルオイルおよび植物各々にまつわるお話・伝承・伝説は
エッセンシャルオイル(精油)のプロフィール中のちょこっと小話を(^o^)
をご参照ください。)


<1: 古代 エジプト >
<2: 古代ギリシャ >
<3: 古代ローマ >
<4: 古代アラビア >
<5: 中世ヨーロッパ >
<6: インド、中国 >
<7: 日本 >
<8: 近代~現代 >




<1: 古代 エジプト >

 アロマテラピーという一つの補完医療、代替医療との確立は、後述、
<8: 近代~現代 >にあるとおり、近年の出来事です。
ですが、それ以前にも人々は“植物の芳香”および“芳香物質”を、
様々なことに用いてきました。

それは、現在に残るたくさんの文献・書物からはっきりとわかります。
中には、古代に使用した痕跡が現在にまで残っていたものまであるのです。


例えば、古代エジプト。

紀元前2000年頃に書かれたパピルス本には、
“ミルラ(没薬)、シナモン、ガルバナムの樹脂”などの他に、
息に香りをつける“香錠”の作り方まで記載されていました。

また、エジプト人の有名な香料に“キフィ(Kyphi)”というものがありました。
最も古い処方には、

“ショウブ、レモングラス、シェナンタス、ピスタシア、レンティスクス、
ラウルス・カシア、シナモン、ハッカ、ヒルガオ”


などが主な諸成分として記されています。

ミイラの防腐には“シダーウッド”の精油が用いられました。

そして驚くのは、ツタンカーメン王のお墓から見つかった香膏壷。
その一部は3000年以上も経っているにもかかわらず、
まだ香りが残っていたそうです!


そうそう、エジプトと言えばこの人をはずせませんね。
世界3大美女の一人、“クレオパトラ”。

“彼女は両手に塗るたjめに一回400デナリもの価の香料を用いた。
その芳香は空中に漂い、消えてそれっきりだった。”
とシェークスピアは描いています。


デナリとは古代ローマの銀貨の名前です。
ローマ軍団兵士の年俸は、カエサル時代で140デナリウス。
アウグストゥス時代でも、225デナリウスだったといいます。

一回、400デナリウスの香り!

“香りは彼女の美しさと魅力をさらに引上げた”
と伝えられています。
いったいどんな香りだったのでしょう?

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<2: 古代ギリシャ >

 さて、現代西洋医学の基礎はどこで生まれたのでしょうか。
それは古代の、ローマやギリシャ地方を中心とした国々でした。

ギリシャといえば、きっとあなたもご存知でしょう。
有名なギリシャ神話がありますね。
その中にはいくつもの香りにまつわる伝説が、
例えばミントの伝説など、神々と香りのお話が載っています。

ギリシャ神話では、香料を初めて用いたのは神々だとされています。
そして美の女神アフロディテの使い女、イオーネの軽はずみが元で、
人間は香料を知ったそうです。

古代ギリシャ人は香りを愛し、香料職人は古代ギリシャの特色の一つとなりました。


そんな古代ギリシャの有名なお医者さん。
あなたも名前を聞いた事があるかもしれません。
それは…


“医学の祖 ヒポクラテス”(BC460-377)。

彼は“医学の祖”と呼ばれています。
なぜなら、それまでの医学は呪術的なものでした。、
それを客観性と倫理を重んじる、現代に通じる医学の基礎を築き上げたからです。
(<ヒポクラテス全集>中でも<ヒポクラテスの誓い>という有名な誓いがあります。)

彼は、“アテネの町を芳香植物をいぶすことでペストから救った”、
といわれています。



そしてヒポクラテスが亡くなってから約500年が過ぎた頃。
“ガレノス”(129-199)という人物が現れます。

彼はヒポクラテス医学を基礎とし、体系的な学問を築き上げました。
そして動物の解剖を行い、生理学、病理学の面で輝かしい業績を残すのです。

彼は古代の医学を集大成し、17世紀にいたるまで、
西欧における医学の権威としてあがめられました。
またアラビア医学にも多大な影響を与えたのです。

またガレノスはコールドクリームの製造創始者とも知られています。


ギリシャにはもう一人、香りの歴史に欠かせない人物がいます。
ヒポクラテスが亡くなった頃に生まれた、哲学者“テオフラテス”(BC372-287)。

アリストテレスの弟子でもある彼は“植物学の祖”、と呼ばれています。
多方面で活躍した彼は、植物の分類および系統だった研究も行いました。
そして<植物誌>を著したのです。

彼は植物および生理学について並々ならぬ知識を持っていました。
そして香料や香りに関する論文も、数多く残しました。
現在において、西暦紀元よりも4世紀も昔のギリシャ人の使っていた香料が
何であったかわかるのは、彼のおかげなのです。


テオフラテスの時代はアレクサンドロス大王(BC356-323)の時代でもあります。
そう、彼による遠征(BC336-323)は、大帝国を生み出しました!

この遠征は、東西の活発な文化交流を促します。
それは“ヘレニズム文化”と呼ばれる豊かな文化を生み出しました。
大帝国の誕生は、東洋と西洋の活発な文物の交流の始まりでした。

こうして様々なハーブ、スパイス、そして香料は、
以前にもまして活発に、様々な場所を行き来するようになりました。

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<3: 古代ローマ >

 ところ変わって、ここはローマ。

古代ローマで香料の使用が一般的になったのは、5世紀頃でした。
以前は野生の花や草を神様に捧げるくらいだったのですが、
ローマ帝国の存立中、香料に対する熱狂は最高潮に達します。

特に皇帝たちは、芳香樹脂や香料に途方もない大金を費やします。
記録を読むと……すごいです^^;


中でも皇帝“カリグラ”“ネロ”
(ちなみにどちらの皇帝も悪名が高いです。
ネロは政治的にはそれなりの事も行ったのですが、悪評の方が断然大きい。)

ネロは、キリスト教徒の迫害など、暴君としても有名ですが、
彼はバラ好きなことでも知られています。

そして彼の2度目の妃が亡くなった時、
葬儀には大量の薫香や香料が用いられたと記録されています。

いったい、どれくらいだったのでしょうか?
なんと当時、香料の供給国であったアラビアの…


1年間分の生産量を超える量!だったといわれています。



さて、そのネロ皇帝の統治下で、
軍医だった“ディオスコリデス”(40-90)という人物がいます
彼は広く旅をし、様々な薬物を実地研究しました。
そして後年、<マテリア・メディカ(薬物誌)>という書を著します。

ここに収録されている植物は600種以上、薬物全体では
なんと1000項目にものぼる大作でした。

この書は中世から近世ヨーロッパ、そしてアラビア世界においても
千数百年もの間、広く利用されることになります。

またこの書は、数多くの写本が作られました。
中でも一番有名なのが<ウィーン写本>と呼ばれるものです。
400近い植物彩画を含む、491枚にのぼる羊皮紙本でした。
512年に複写され、ビザンチン帝国皇女に献上されたのです。

これは帝国の陥落後、トルコ人の手に落ちます。
そして1569年にようやく神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン2世により買い戻され、
ウィーンに保存されました。


同じく古代ローマの政治家であり軍人、そして博物誌家であった、“プリニウス”(129-199)という人物がいます。
大自然の全てに興味があったプリニウス。
(彼は、ヴェスヴィオ火山の噴火に巻き込まれ、逃げ遅れて亡くなりました。)

ローマ帝国の海外領土総督を歴任する傍ら、<博物誌>全37巻を著しました。


<博物誌>
それは誰にもなし得なかった大規模な自然誌でした。
そして現在でもなお、この書は読み続けられているのです。

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<4: 古代アラビア >

 さてアラビア人達といえば昔から、情熱的なバラ好きで知られていました。

中には9世紀のカリフ(マホメットの後継者でイスラム教の教主・国主)、
“アル・ムタワッキル”のようにバラにとり憑かれてしまった、
といっても良い人物もいます。
なんと彼は、

“我はサルタン(イスラム教国の王)の中の王である。
そしてバラはかぐわしい花々の王である。
であるから、我々は友として実にふさわしい。”

そういってなんと、バラを独り占めにしてしまったのです^^;

そして彼の時代、バラは王宮の庭園以外では見られなくなってしまったそうです。

いつもバラ色の衣装をまとい、敷物にもバラ水を撒かせていた。
そう、伝えられています。


予言者マホメット、そしてバラ。
伝説ではマホメットが神様から啓示を受けた時、彼の汗が地に落ち、
それからバラが生まれたそうです。

カイロの街頭のバラ売りはこう、呼ばわります。

“バラは棘だった。予言者の汗で花開いた”と。

ギリシャのヴィーナスの誕生でもバラ誕生の逸話がありますが、
世界的に神話・伝説と、バラはとても縁が深いのです。


バラの話が続きますがここでもう一つバラのお話と、そして
アロマテラピーの歴史にとってとても大切な人物をご紹介したいと思います。

彼の名は“イブン・スィーナ”

同胞からは<医師の王>と呼ばれた人物でした。

アラビア人は化学をギリシャ人から学びました。
そして9~10世紀にかけ、大いに発達させるのです。
その中で何人もの偉大な医師を生み出しました。

中でも卓越していたのが彼、イブン・スィーナ。
(イブン・シーナ、アビセンナ、アビケンナ、アウィケンナとも呼ばれます。)


それではなぜ、彼はアロマテラピーに関係してくるのでしょうか?

彼はとても重要な事をしました。
彼が行った事。

それは“精油の蒸留による抽出”でした。


それまでにもアラビア人は蒸留方法を知っていたと思われますが、
イブン・スィーナはそれを利用し、精油の蒸留を確立しました。
(その方法により、初めてバラ水を作ったといわれています。)

そしてその蒸留法は、ヨーロッパ全土から東洋にまで知れ渡ったのです。


また彼は、後に医学書<医学典範>(カノン)を著します。
17世紀頃まで、西洋の医科大学の教科書に使われたほど、すばらしいものです。


イブン・スィーナが確立した“精油の製造法”および“精油の医学への応用”。
現代のアロマテラピーおよびエッセンシャルオイルにとって、重要な転機でした。

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<5: 中世ヨーロッパ >

 あなたは“エルサレム”という場所をご存知ですか?
悲しい事に、紛争がずうっと絶えることのない場所です。
きっとニュースなどで、目にされたり聞かれた事があることでしょう。

世界にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった、
共に“エルサレム”を聖地とする宗教があります。
そして昔から、この地を巡って宗教的対立が続いてきたのでした。


中世、この地では有名なあの“十字軍遠征”が起こりました。
(十字軍についてはこちらをご覧ください。)

宗教以外にも様々な思惑が絡み合った遠征でした。
しかしこの約200年の間に、東西の文化交流・貿易はとても盛んになります。

そしてアロマテラピーにおいて重要なハーブ、薬草をはじめ、医学そして
精油の蒸留法がヨーロッパに伝わったのも、この時期なのです。
そして異文化との交流は人びとの視野を広げ、共存の道を探り始める事にもなります。


そんな中、いくつかの都市が、医師の養成所として発展します。
“サレルノ(Salerno:イタリア)”そして“モンペリエ(Montpellier:フランス)”
特に有名なのがこの2つの都市です。

それまでの中世ヨーロッパでは教会、そして修道院を中心とした
“僧院医学”と呼ばれる薬草療法が中心でした。
これらは基本的に僧職者や特権階級の医学でした。
“ハンガリアン ウォーター:ハンガリー王妃の水"もご参照ください。)

ですが時代と共に、次第に職業医師が求められてきます。
そんな中、サレルノやモンペリエがその中心地として発展していったのです。


サレルノは“ヒポクラテスの町”とも呼ばれ、12世紀に最も栄えました。
10世紀頃にはフランスやイギリスの王族も養生地として訪れていた、由緒正しい町。
町の名を冠した”サレルノ養生訓:サレルノ健康法”はヨーロッパ全土に広まります。
そしてサレルノ医科大学のカリキュラムは、中世ヨーロッパの大学の規範となりました。
またサレルノは、医師の免許制度が始まった地でもありました。


一方モンペリエでは医学教師によるギルド(組合)、医師免許制度が作られます。
そしてユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共存が可能だったこの地では、
国籍や宗教を問わず、医学を学ぶ事が出来ました。
そういった事を含め、後にサレルノをしのぐ医学の中心地となるのです。


そうして16世紀頃、学問的に医学が確立されていく中、薬草の研究が、
エッセンシャルオイルやハーブを利用が盛んになります。
そう、この頃からハーブを利用する療法家・ハーバリストが活躍するようになるのです。

こういったエッセンシャルオイルやハーブを利用する医学、ハーバリスト達が、
今日の私達、アロマテラピーそしてアロマテラピストの原形といえるでしょう。

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<6: インド、中国 >



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<: 日本 >

 私達の日本。
「淡路島に“沈香”が漂着し、知らずに竈で焼くと、
とっても良い香りがしたので朝廷に奉られた。」
わが国の文献で、初めて香りの記述がされているのは“日本書紀(596)”です。

その後も“宇津保物語”、“源氏物語”、そして“万葉集”と
様々な文学作品に登場する、数々の香、薫香に対する言及。
匂い、香り、薫りといった言葉の使い分け。
“香道”に繋がる、音と香りの世界。
私達日本人も昔から香りを楽しみ、独特の世界を作り上げてきたのです。


時に薬草として、薫香として、オイルとして。
こんなにも昔から人間は植物の持つ神秘の力を借りてきました。
素晴らしい香りを、はるか昔から楽しんできたのですね。

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<8: 近代~現代 >

 近年、私達の身近になってきました“アロマテラピー / アロマセラピー”。
いわゆる、植物の香りを使った“芳香療法”の事です。

あれ?このアロマ“テラピー”と“セラピー”って?
“AROMATHERAPIE / AROMATHERAPY”。
実は読み方が、フランス語読み☆か英語読み★であるかの違い、
と思いきや、実際にフランス語で発音すると若干違うようです。

どうやら日本に初めてこの言葉が入ってきた時、訳者が書いたのが、
“アロマテラピー”。
それが現在に至るようです。

意味としては、芳香(アロマ)+療法(セラピー)というわけですね。


さて実際にこの“アロマテラピー”という言葉が作られたのは、フランスです。
1928年の事でした。


その頃フランスに、家業で香水業を営んでいた化学者、
“ルネ・モーリス・ガットフォセ”と言う人物がいました。

ある日の事です。
彼は化学実験を行っていました。
ところがその日、なんと事故を起き、火傷を負ってしまったのです!
彼はとっさに目の前にあったもの、“ラベンダーの精油”をかけたのでした。

それがなんと不幸中の幸い!
火傷の傷は短期間で回復し、しかも傷跡もきれいに治ってしまったそうです!

彼は“エッセンシャルオイル(精油)”の治療効果に驚き、
とても興味を持ちました。
このことがきっかけで彼はその後、“植物が生み出す、香りを持った物質”、
つまり“エッセンシャルオイル(精油)”の研究へと進んでいくことになるのです。
彼はその後の生涯を、アロマテラピーの研究に捧げました。

現在、私達が使う“アロマテラピー”という名称、概念。
これらはガットフォセ氏が、1928年につくったものなのです。



こうして始まった“アロマテラピー”の研究。

同じくフランス人の医師、科学者である“ジャン・バルネ”博士は
第二次世界大戦およびインドシナ戦争に、軍医として従軍していました。

彼はそこで精油から作られた芳香薬剤を用いました。
それで負傷者の、身体と心の手当てを行ったのです。
彼はアロマテラピーを実際に用い、実務としての成果を挙げたのでした。

博士は軍籍を離れた後、自身の経験を元に1964年には
<Aromatherapie>と言う本を出版しました。
(邦題:ジャン・バルネ博士の植物=芳香療法)


またバルネ博士同時期、彼の研究を応用しながら、
アロマセラピーの研究と確立と普及に生涯をかけ取り組んだの人物がいます。

オーストリア生まれの生科学者、“マルグリット・モーリー”夫人です。
心と身体のバランス、“若さ・美しさ”についての多大な功績を残しました。
現在私達が行う、希釈したエッセンシャルオイルを用いてのマッサージは、
彼女の考案によるものです。

フランス、スイス、そしてイギリスにクリニックを設立し、
また美容術の研究によって、国際的な賞も2回、授与されます。
1964年に英訳された<The Secret of Life and Youth>。
この本はイギリスのアロマセラピーに大きな影響を与えました。
(邦題:生命と若さの秘密。原著はフランスで1961年に出版。)

現在イギリスや日本で行われている
“ホリスティック(全体観的)アロマテラピー”
はモーリー夫人から始まった、と言っても良いでしょう。



そして現代、バルネ氏やモーリー夫人の業績を受け継ぎ、
発展させているアロマセラピストの一人が、イギリスにいます。
“ロバート・ティスランド”氏です。
著作も多く、何処かで目にされている方も多いでしょう。

イギリスにおけるホリスティックアロマセラピーのリーダー的存在である彼は、
現代社会の持つ社会的病理によるストレス、精神病理などの観点から深く掘り下げ、
その対処法としてのアロマセラピーを提示しています。
1978年、<The Art of Aromatherapy>を著しました。
(邦題:芳香療法・理論と実際。)



ここでもう一度、少し年代をさかのぼって見ましょう。
ガットフォセ氏と同時代の、場所はイタリアです。

この地では二人の人物、1920年代には医師ガッティー氏が、
1930年代にはカヨラ氏が、それぞれ精油の
心理的作用とスキンケアへの応用
といった、幅広い分野にわたって研究をしていました。

そして1970年代に入りますと、ミラノにあります植物誘導体研究所長である
パオロ・ロベスティ氏によって、柑橘類の精油の持つ
神経症やうつ病への効果が、とても有効であることが示されました。
香りの精神科における臨床例として、世界最初のものです。


さて、私達の日本では心理的な効果の研究として有名な
“鳥居鎮夫”博士があげられるでしょう。
特殊な脳波を用いて精油の持つ、刺激、鎮静作用を研究されました。
(そのとき使われたのはラベンダーやレモンでした)
アロマテラピーの学術研究の先駆者として、高い評価を得ています。
(東邦大学名誉教授:現AEAJ会長。)


現在、世界中の様々な国々、色々な機関、
そしてたくさんの人々が、アロマセラピーの研究を行っています。

これからどんな新しいことが発見されるのでしょうか?
楽しみですね。





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